2011/03/23

東日本大震災(3) 危険!お隣の空き家

水が出てもガスが来ないので、食器を洗う時は冷水です。軟弱な現代人の私は、
皿洗いを終えると手が真っ赤になっております。で!イイものを見つけました。
ゴムの手袋です。これを付けると、凍るような水でも、さほど冷たく感じない。
 
   
 
只今 ヒゲーニョは、ダンサー返上で、家事補助&生き物係でございます。
 
ひとり留守番中、隣の空き家の持ち主さんが来ました。今回の地震で、敷地の崖
は崩れかけ、古家も半壊。空き家ですが、たまに どなたかお使いになるらしく、
電気がついている時もあります。地震前夜は不在なのに明かりがついており、
どうやらスタンドライトを消し忘れてお帰りになった様子です。 という事は、電気
復旧とともに、倒れたライトから火災が起る可能性もあります(汗)。 早急に
ブレーカーを落さねばなりません。
大家さん いわく 「ああ~、私、年だから無理だ~。若い人とか、行ってくれない
かな~」との事 (大家さんは、それが出来ないようなお年ではありません)。
ぎょ!? 早い話がアタシに行けと言ってますか? (-"-;) 柱が折れかけた
コノ家に、ガラス戸やタンスが全て倒れているコノ家に、入れと・・・。 まあ、
確かに私が入ったほうが、さっさと出て来れるでしょう。 時折起こる強い余震に
気を付けながら突入し、無事任務を終えました。
 
   
 
このような非常時は、助け合いが大事です。知人の外国籍の方が、業務用冷蔵庫
の直撃を受けたそうで、パパーニョとママーニョが病院へお連れしました。 一方、
当家には、同僚のMIHO が旦那様と一緒に訪れ・・・保存の効く食料や飲料水を
沢山お持ち下さいました。地震直後で食料調達の一番難しい折、彼女のご厚意は
感謝の一言では表し切れません (会えた事自体が物凄く嬉しく、あんなに声を
上げて泣いたのは久々です)。
 
----------------------------------
いつも当ブログをご覧頂き、誠に有難うございます。被災地において、今、このブログ
をご覧になれる方々は、電気が復旧し、日常を取り戻す第1歩を踏み出された皆様
です。先行きの様々な不安に襲われる事もお有りだと思いますが、このブログをのぞ
いている時だけはお心が癒されますよう、私も楽しい記事作りに努めてまいります。
 
 被災地仙台の春
 ↑↑気付けば、梅の花が咲いていました。
 
2011/03/21

東日本大震災(2) 被災翌日

大地震の翌朝、寒さと余震により外出時のような格好で就寝した私たちは、起床
しても着替えの必要無し!。朝食を終えると、FDCダンススタジオの視察 へ出発。
 
道すがら、徒歩でどこかへ向かう沢山の人を見ました。
一部のコンビニが店頭販売していましたね。
 
さて、スタジオへ到着。駐車場は泥だらけ。アスファルトが所々盛り上がり、
玄関前の階段が破損していました。一瞬、ギョッ!!。
 
 大地震翌日のFDC仙台スタジオ
 
液状化現象が起きたのですね。地震ではよくある事だそうです (業者さんに見て
頂きましたが、1日で修繕可能との事。安心しました)。 一方、建物の中ですが、
驚くなかれ、10cm幅の窓枠にチョコンと座らせているヌイグルミすら落ちていま
せん。水が出ない事を除けば、被害と呼べるものはほぼ無し。
 
   お墨付き
 
↑↑3月17日付けで、玄関ドアにこのような紙が貼られていました。 「調査済」
と書かれた緑の紙です。 「この建築物の被災程度は小さいと考えられます。
使用可能です。」 との事。区役所のお墨付きを頂きました。近辺の古い商店には、
「要注意」 の黄色い紙、「危険」 の赤い紙が・・・。 ご店主さんが気落ちしてらして、
何ともお声がけのしようがありませんでした。
 
2011/03/18

東日本大震災(1) 一週間前の今・・・大地震が

3月11日(金)の午後2時46分。私は自宅2階のトイレから出ようとしていました。
ん?地震かな?? ジワジワと揺れが増してきたので、そのままトイレにこもる。
壁が密なトイレは、構造的に安全なのです。  しかし、今回の揺れはスサまじ
かった・・・数秒ごとに揺れがグン!とギアチェンジするように強まる。壁に両腕を
つっぱって仁王立ちしていましたが、思い切り揺さぶられる状況です。 最後の
ギアチェンジとともに吹っ飛ばされ、そのままドアへ体当たり。廊下へ投げ出され
ました。。。それでも揺れはおさまらない。廊下の壁に背中を押し付けて座り、
両手で柱を押さえ・・・激しすぎる揺れの中で 「もう止めて」 と何度も何度も
つぶやいていました。
 
断層の破壊は約150秒に渡って起きたと推定されるそうです。2分半・・・
どおりで、いつまでも終わらないワケです。揺れの方向は、縦なのか横なのか
分からないくらいアッチコッチでしたね。 巨人の手がブランデーグラスを揺らして
いるかのように、宮城県がモジャクラレタ感じです。
地震発生直前まで私が居た部屋は、こうなりました↓↓
 
  
 
重たい階段ダンスが歩き、クローゼットの中からはダンボールやアルバムが
飛んで出てきたようです。もしも、ここで地震に見舞われていたら・・・部屋の中央
でダンシングする私は、多数の打撲痕を作ったでしょう (地震発生の少し前から、
ダンスの振付を作っておりました)。
 
ヒゲーニョ家の面々は、即、動きました。出来る限りの容器やバスタブに水を溜め、
(停電したので) 暗くなる前に 懐中電灯やロウソク、ラジオ、灯油ストーブ、布団
などを用意。私は余震に備えて、タンスのつっぱり棒を付け直したり、パソコンを
救出したり。。。強い余震が何度も襲う中で、被災当夜に備えたのです。
 
   地震直後は水を溜めよう
 
大震災体験談は次回へ続く。どんな道具が重宝したのか、どんな所で買い物が
出来たのか・・・お話していきます。震災対策の参考になれば幸いです。
 
 
 
仙台大衆舞踊団のダンス動画

(↑↑こんな年だからこそ、絶対に開催したい。)
   
---------------------------------
私が代表を務めますFDCダンススクール・仙台校の受講生は、石巻方面から通う
メンバーも含めて、本日、全員の無事が確認されました。未曾有の大惨事にあって、
とてもとても幸いな事です。
当方の受講生には、医療現場で働く者もおり、只今懸命に被災者の皆さんを助けて
います。私は彼女たちに対して、そして、彼女たちと同じく救済・復旧のために
不眠不休で働いて下さっている皆様へ、深く深く感謝して止みません。これ以上、
地震に見舞われた地域に、悲しみや苦しみが増す事がないよう日々願っています。