東日本大震災(25) 石巻女川の現状視察
平地が続く石巻では広範囲に波が到達しました。一方、町が消失したと聞いていた
女川へ行き、波が変幻自在である事の恐ろしさを知ったのです。
小高い丘にある病院の駐車場から、女川の町を見下ろしていた時、NAOMI いわく
「この病院の1階の高さまで津波が来て、看護婦さんたち、泳いだんですよ」。
え? ここ、町を一望できる高台だよね?? これでも助からないの!?

(女川の町立病院から見た風景。鉄筋の建物が根こそぎ倒れています。
中央に見えるグリーンの面は、建物の屋上。
入り江に集中した波がパワーと高さを増したのです・・・ 信じ難かった。)
NAOMI は当時、女川の中心部に住んでいました。
彼女の自宅があった場所へ案内してもらったのですが・・・

(わずかに見えるガードレールの高さまで津波が到達。
自宅跡の向かいにある4階建ての建物も、屋根まで破壊されています。)
ガレキが片付いた、と報道されていましたから、普通の 「さら地」 を想像して
いました。でも、私が立っているのは、ただの土の上ではありません。
住宅の土台や玄関アプローチが部分的に残り、茶碗のかけら、洋服、おもちゃ等、
生活の断片で埋め尽くされているのです。それが、見わたす限り建物が無い
広大な土地一面を覆っています。

多くの子供たちが亡くなった大川小学校も訪れました。
手を合わせつつ、故人に何と言えばよいのか分からなかった。。。
お一人お一人がそれぞれに人生を営み、未来を信じていた。
ただただ、1万5千を超える命が奪われた事を口惜しく思います。
石巻のメンバー・KUMIKO、YOSHIMI、NAOMI には、今回、石巻と女川を
案内して頂き、深く感謝しています(辛いところもあったでしょうに・・・)。
彼女たちは津波の音が耳に焼きつき、海には近づけないと言います。この1年、
生き残った罪悪感や恐怖と決別する努力、生活を再建させる苦労など、
必死な毎日を過ごしてきたはず。。。 石巻の仮設住宅群は、巨大団地のような
敷地面積に達します。過酷な 「生」 に向き合っている方がいかに多いことか・・・。
次の日曜日で、震災からちょうど1年。生きる事、前進する事、それを手助けする事
に躊躇してはならないと、改めて思いました。
女川へ行き、波が変幻自在である事の恐ろしさを知ったのです。
小高い丘にある病院の駐車場から、女川の町を見下ろしていた時、NAOMI いわく
「この病院の1階の高さまで津波が来て、看護婦さんたち、泳いだんですよ」。
え? ここ、町を一望できる高台だよね?? これでも助からないの!?

(女川の町立病院から見た風景。鉄筋の建物が根こそぎ倒れています。
中央に見えるグリーンの面は、建物の屋上。
入り江に集中した波がパワーと高さを増したのです・・・ 信じ難かった。)
NAOMI は当時、女川の中心部に住んでいました。
彼女の自宅があった場所へ案内してもらったのですが・・・

(わずかに見えるガードレールの高さまで津波が到達。
自宅跡の向かいにある4階建ての建物も、屋根まで破壊されています。)
ガレキが片付いた、と報道されていましたから、普通の 「さら地」 を想像して
いました。でも、私が立っているのは、ただの土の上ではありません。
住宅の土台や玄関アプローチが部分的に残り、茶碗のかけら、洋服、おもちゃ等、
生活の断片で埋め尽くされているのです。それが、見わたす限り建物が無い
広大な土地一面を覆っています。

多くの子供たちが亡くなった大川小学校も訪れました。
手を合わせつつ、故人に何と言えばよいのか分からなかった。。。
お一人お一人がそれぞれに人生を営み、未来を信じていた。
ただただ、1万5千を超える命が奪われた事を口惜しく思います。
石巻のメンバー・KUMIKO、YOSHIMI、NAOMI には、今回、石巻と女川を
案内して頂き、深く感謝しています(辛いところもあったでしょうに・・・)。
彼女たちは津波の音が耳に焼きつき、海には近づけないと言います。この1年、
生き残った罪悪感や恐怖と決別する努力、生活を再建させる苦労など、
必死な毎日を過ごしてきたはず。。。 石巻の仮設住宅群は、巨大団地のような
敷地面積に達します。過酷な 「生」 に向き合っている方がいかに多いことか・・・。
次の日曜日で、震災からちょうど1年。生きる事、前進する事、それを手助けする事
に躊躇してはならないと、改めて思いました。