「分からない」と「講師魂」
我ら講師陣は、ご本人が「私は、こういう事が分からないんです」と認識なさった時こそ
“学びのスタート地点” へお立ちになったな・・・と判断します。
人によっては “分からない” を薄々気付いていても、適当にやり過ごしたり、または、
出来てる実感が無いのに「少しは出来てるんじゃないかな」と思って終わらせたり・・・。
でもね、素直な学習のやり取り “教える&教わる行為” は、教わる側が「うん!私は
分かってない!」と腹をくくれていると、スムーズに行きやすい、と感じています。
講師のほうは、教わる側が分からないのは大前提なので、ソレを気にしませんしね、
ダンスの上達は二人三脚ですから、心持ちを合わせられる事がベストだと思います。
受講者さんは “グループレッスン” とお思いでしょうが、私たち講師は違いますよ。
「今、この子は、ダンスの道の、この辺りに居るな」という事が、講師には分かります。
器用な人には、多めにアドバイスを渡す。一方、アドバイスを取りこぼし気味の人には、
課題を少なめにする。各自の力量に合わせ、アドバイスの量や指導時期も変わりますね。
つまり、講師は、各自の実力を見極めながら、個別指導を行っている感覚なのです。
(その個別対応をね、特別に肩入れしてる、又はその逆、なんて思うのは見当違いよん?
例えばね、順調な時、“自分で頑張ってみて” の時には、敢えてはお声がけしません。
その人固有の弱点をお名前で直すのであって、「名指しこそ、目をかけられてる証拠」
ってお考えになるのは・・・オカシイぞ? 特別扱いの人、なんて居るワケないじゃん!?)
さて、今日は何を言いたいのかってゆーと。
受講者のアナタは、自分の事に必死でいてね。プライドとか、講師の愛とか気にせず、
ダンスだけに集中!!(ダンスに真摯に向き合うって、そういう事。それ以外は無駄事。)
一方、講師は、アナタの事に必死なんですよ。
自分の事じゃなくて、アナタを思って奮闘してる!それが講師という職業だぁあああ!

◆はい、最後は講師魂で締めてみました♪
安心して、ダンスに励んでちょーだいね 笑
↓ 先生、クドイぜ。レッツ!プッシュ!!
“学びのスタート地点” へお立ちになったな・・・と判断します。
人によっては “分からない” を薄々気付いていても、適当にやり過ごしたり、または、
出来てる実感が無いのに「少しは出来てるんじゃないかな」と思って終わらせたり・・・。
でもね、素直な学習のやり取り “教える&教わる行為” は、教わる側が「うん!私は
分かってない!」と腹をくくれていると、スムーズに行きやすい、と感じています。
講師のほうは、教わる側が分からないのは大前提なので、ソレを気にしませんしね、
ダンスの上達は二人三脚ですから、心持ちを合わせられる事がベストだと思います。
受講者さんは “グループレッスン” とお思いでしょうが、私たち講師は違いますよ。
「今、この子は、ダンスの道の、この辺りに居るな」という事が、講師には分かります。
器用な人には、多めにアドバイスを渡す。一方、アドバイスを取りこぼし気味の人には、
課題を少なめにする。各自の力量に合わせ、アドバイスの量や指導時期も変わりますね。
つまり、講師は、各自の実力を見極めながら、個別指導を行っている感覚なのです。
(その個別対応をね、特別に肩入れしてる、又はその逆、なんて思うのは見当違いよん?
例えばね、順調な時、“自分で頑張ってみて” の時には、敢えてはお声がけしません。
その人固有の弱点をお名前で直すのであって、「名指しこそ、目をかけられてる証拠」
ってお考えになるのは・・・オカシイぞ? 特別扱いの人、なんて居るワケないじゃん!?)
さて、今日は何を言いたいのかってゆーと。
受講者のアナタは、自分の事に必死でいてね。プライドとか、講師の愛とか気にせず、
ダンスだけに集中!!(ダンスに真摯に向き合うって、そういう事。それ以外は無駄事。)
一方、講師は、アナタの事に必死なんですよ。
自分の事じゃなくて、アナタを思って奮闘してる!それが講師という職業だぁあああ!

◆はい、最後は講師魂で締めてみました♪
安心して、ダンスに励んでちょーだいね 笑
↓ 先生、クドイぜ。レッツ!プッシュ!!
