2020/06/18

人間性のリトマス試験紙01

コロナ禍は「人間性を判定するリトマス試験紙」となった・・・そんな言葉を使った記事が。
確かに、得体の知れない恐怖、何かを失う恐怖を前に、各自の判断で行動しましたものね。
結果、感謝しきりな行動から、呆れ返る行動まで、ハッキリとした形で目撃する機会に
なりました。その記事では、私も以前お話した、ナチスの収容所から生還した心理学者・
フランクルの言葉を紹介していましてね・・・

「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だった」。

危機的状況で身包み剥がされた “素の人間” に残るのは、“人間性だけ” って事ですね。
コロナ禍を機に「やっぱり、あなたと一緒に居たい!」と再確認した人間関係もあれば、
薄々分かっていた問題がアカラサマになった・・・な~んて人間関係もあるんじゃないかい?

非日常の環境では、人間性が色濃く出やすい、とすれば、舞台活動もそうかもしれません。
ある人の良さが冴える事もあれば、ある人の持ち味が問題へ至る事もある。本日は敢えて、
その問題についてお話します。論点がモヤッとしないようリアル10%含有をお許し下さい。

FDC仙台ダンススクール&仙台大衆舞踊団

例えば「私が稽古の環境を良くしている事を認めて下さい。失意でリハに出られません」
という理由で本番直前の稽古を休む、とか、自分の穴を必死に埋めてくれてる後輩達へ、
本番直前に「もぉ~、ダンスいいかな~」とサヨナラ発言して泣かせる(本来は、皆へ
感謝を伝え、声をかけ、最後まで見届けて・・・ いや、その前にチラシの1枚でもお持ち
頂きたい所)。・・・365日で最も大事な時期である舞台直前に、こうなるとは何故でしょ?

彼女達は皆、同じ事を言うのですね・・・「私は、それがイイと思うので、そうします」。
そういう所が魅力でもあるけれど、この件に関しては、その考え方は違う!

大勢が大変なパワーを出し合って、舞台を作るんです。開催に支障をきたす言動をする
ってのはさ、大勢の人達の渾身の努力に、泥水を浴びせる行為」に等しいと私は思う。
そこへ思い至っていれば、この問題は起きないのですね。(大変悩んだ末に結論が出た
のでしょう。だからこそ、結論を疑いも無く発言できる・・・。でも、悩んでいる途中で、
感謝や責任感が、本来すべき配慮とは違う方向を向いちゃった・・・、そんな気がします)。

これほど感覚がズレる事もあるのですね、人間同士は。でも・・・、それは一発では来ない。
ああ、この子、あと1年持たないぞ・・・って予兆があります。そんな時、私が試みる事は、
「極力、ソフトランディング(軟着陸)させたいな」って事です。


◆ソフトランディング??
↓ 明日へ続く。レッツ!プッシュ!!