2010/12/22

ヒゲーニョ法師談⑨ 愛を語る

迷える人生の旅人「ヒゲーニョ法師」 の勝手なスピリチュアル・トーク、第9弾です。
私ごときが思う所なので、どうぞご期待なさらぬように。では、始めます。
 
「人は自分以外の人間をも100%知る事が出来る」 または
「自分の事を相手に100%知ってほしい」 とお思いになりますか?
 
“イエス” の方には 大変申し上げにくいのですが、私は “そりゃー無理だべよ”
考えております。他人の内面を推測する事は出来ても、100%の理解は無理だと
思いますから、人間関係は相互の 「尊重」 「許容」 で成り立つと考えております。
 
自分を分からせよう、と必要以上にヤッキになる人に限って、案外、相手の事は
ヤッキになるほど知ろうとしない。。。事が多いように感じます。 100%知って
ほしい ・・・ 分かってほしいのに、何故、私の望み通りにしてくれないの?・・・
最終的には恨みがましい気持ちが募る。 そこに、自己愛の悪循環を感じます。
 
どうでしょう、実現し難いゆえにツラすぎるその願い、断ち切ってみては?
他人が自分を100%把握できないのが当たり前だ と思っていれば、他人が
自分の望み通りにしてくれなくても、そう腹は立たない。更に、他人が 自分の事を
「おもんばかってしてくれた行動」 に触れた時、思いもよらぬ厚意ですからね、
深く感謝を覚えます。 これぞ 一石二鳥・・・ と思えるのは私だけでしょうか?
 
いいえ、同意は結構です。私だけだったとしても、この考え方は単に “クール” な
だけではなく、人付き合いの礼儀 だと心得ております。 そして、ラヴにおいても
「私を分かってほしい & こうしてほしい」 より 「貴方をもっと知りたい & こうして
あげたい」 が好ましい育み方と言えましょう。
 
  迷える人生の旅人・ダンス坊主
 
クリスマス・イヴが近づいていますね・・・ 皆様の恋路をば、心より応援申し上げ
ます。 (いいんです、わたくしの事は気にしなくて。僧侶なんですから。)
ご清聴、誠に有難うございました。