2022/03/11

中浜小学校へ ~震災から11年(2)

先日、山元町震災遺構 中浜小学校を訪問。
東日本大震災の大津波から、児童や地域の方々など、90人の命を守り抜いた小学校です。

いくつもの偶然が重なっている・・・って言葉。よく聞くし、中浜小にも当てはまりますが、
その内容は、私が想像できる範囲を越えた偶然の連なりです。詳細なお話を伺ってこそ、
初めて、その出来事の本当の凄みを感じる事ができました。

かつての民家を再現した立体地図には、込み上げるものがありましたね。瞬時に奪われる
日常。とてつもなく悲しい。(余談ですが。人は突然の災害で、命や日常を失う事がある
ワケですよね・・・どんなに防災しても。ましてや戦争を起こして、人間が自ら悲痛な現場
を増やすなんて愚かです。あってはならない事だと思わない人をどうしてくれよう。怒)

仙台のダンサー・ヒゲーニョのOFF

見学の最後に “震災当日、一夜を明かした屋根裏倉庫” へ入りました。私はココが一番、
リアルに感じましたね。コンクリートの床一面に、色んなものが散乱しており・・・
そばにあるものを見ると、太い油性ペンで「さいゆうき」と書かれたダンボールが。
平たく解体した状態で敷いてありました。ビニールヒモで作ったポンポンのような物や、
オーガンジーのスカート風の物、剣道の面??とかもあったような。

学芸会や運動会の道具と、それを仕分けしていたダンボール箱って事は、すぐに分かる。
敷ける限りのものを敷きつめて・・・。おとな達が必死に窮地を切り抜けようとした事、
一目瞭然でした。こども達に「大丈夫だよ」と言いながら、耳には届いていましたよね
・・・引き波の音が。不気味に響く音が。強い余震が何度も起こりましたしね。その中で、
心と身体を守り続けた事、涙が出てまいります。

震災遺構。私が知らないだけで、こんなにも大変な事が起きていたんだ・・・ と教わった
次第です。震災後に石巻・女川を案内してくれたFDC石巻の皆さんを思い出します。
あの時、知る機会を下さって有難うね。

知ったほうがイイんだ。でなきゃ、
考え始める事もないのだから。


◆震災遺構の防災的な価値を感じました。
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【 大ソナタ悲愴 】